2008年04月08日

他人の心の炎

4/7付の記事を読みなおして考えてみました

人の心に火をつけることより、ともった火を消すことの方が、はるかに簡単なのに
心にともる炎に水をかけることが、しばしばに行われているということ

それはいったいなぜなのか
やがて、もう一つの問いに突き当りました
「わざと?」

もちろん、そういうこともあるでしょう

人が自分より成果をあげることを好まず、意気消沈させるための言葉
自分の方が知識があることをひけらかすために、理路整然と難癖をつける言葉
真面目に仕事に取り組むことを冷やかす幼稚な心理からでる言葉

小さな炎は言葉にならない態度、たとえば視線一つでも消えてしまいます
いや態度にさえならなくても・・
ここまで、考えてぞっとしてしまいました
「わざとじゃないことの方が多い?」

そこに炎がともっていると気付かないこと、つまり反応しなかったこと
たったそれだけで、無視された、相手にされなかったと思わせてしまうこともあるんじゃないか
炎を吹き消す息となることもあるんじゃないかと思うのです

もちろん、それを「性格が弱い」と批評することもできるでしょう
私も新人には「悪目立ちと言われても、主張しろ、そうしないと気付かれない」
と檄を飛ばすことがあります

でも、だからといって炎を消すことを正当化することはできないと思うのです
なんとか、気づいてあげたい
感受性を高める方法はないのでしょうか・・・


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posted by ラテンでアロハな社長 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 経営・働き方・サービス業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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